相対的な自分の位置

 

久しぶりに中学時代の同級生や知り合いのSNSを漁り、何をしているのかを探ってみた。

 

不定期に同じことをやるけど、多分この行動に隠されている心理は「他人と自分の比較」をしたいという欲求だと思う。

 

小学生中学生高校生とそれぞれ、自分は周りに比べて総合的に優れている人間であったと思っている(おそらく自他共に)

無論、それは現在となっても同じ構図であって欲しいと願うプライドが自分にはある。

 

しかし、現在の自分には何も無い。

比較しようにも、たらればで自分を作り出すしか無い。「早稲田受かってたら」「その当時なら」「こいつがこうなら」

 

なんとも惨めな事に気がついた。

 

よくよく考えてみると自己嫌悪に陥りそうになるため、適当な所で止めておくけれども、現在俳優やその他自分を演出する形で行動を起こしている人たちに比べ、当時から自分は劣っていたかもしれないと考えることは今の自分に何も持たらさない。

 

この調子だと成人式に行っても辛い思いをするハメになりそうだなあ、この気持ちは自分にしかわからないだろうなあ、と取り越し苦労をする。

 

結婚したしてない、童貞かそうじゃないか、大学はどこだ、くだらんマウンティングの応酬が始まることは目に見えているし、そのマウンティングの頂点に立つのが自分であった、今までは。

 

それが出来ないとなったら、そこから逃げるしかない。逃げるしか自分に害を与えずに済む方法は無い。そうやって今まで逃げてきたツケをようやく体験する時が来たのかもしれない。

 

なんて想像をしたところで、今の自分の社会的立場を変えることは不可能。変えるために努力をすることは可能でも、今すぐにそれ自体を変えることは出来ない。

 

その場その場ではすごいやつに見えるかもしれないけど、遠目で見てみると自分の周りを自分で狭くしているなんともかわいそうな奴だとしか思えない気がしてならない